常に新しい涙

お正月、姪っ子たちにお年玉をあげなければならない。
私は子どもが嫌いだ。子ども時代の自分が嫌いだからだ。絲山秋子も「勤労感謝の日」で同じことを書いていた。この理由で子供が嫌いな人は多いのだろうか。

絲山秋子の小説を最近いくつか読んだけれど、『海の仙人』がいちばん好きだ。
子ども時代に受けた性的虐待の記憶からセックスができない主人公が、恋人の言葉によって「自分はただのインポテンツだ」、それだけのことだ、と気づく場面にしびれた。
自分の悩みを他人が溶解してくれる、というのはとても難しいことで、「大したことじゃないよ」という言葉を素直に受け入れるための葛藤は何歳になっても変らないのではないかと思う。
何万人もの先人が悩んだことでも、私の悩みは私にとって常に新しい。
よく知らない他人から「小さなことにクヨクヨするな☆」とか言われても、何も解決しない。ていうか、ぶん殴りたい。
誰かの態度で自分が頭を抱えていた問題が溶ける瞬間というのは本当に稀有で、それはきっと、小学生の道徳の教科書に載っているような「信頼」とか「思いやり」とかいうものが結晶のようなキラキラした状態で表面化したときにしか起こらないのじゃないかな、と、かりんさんの涙の描写を読んで思いました。

海の仙人

海の仙人