死んでいる

ジム・クレイス「死んでいる」は、主人公の夫妻が物語の冒頭からすでに「死んでいる」小説。
著者ジム・クレイスは、無神論者だった父の死を消化できず、「死」を、宗教的言説をもちいずに納得するためのひとつの方法として、自然科学に徹した死の描写を軸にしたこの小説を書いた、みたい。

この小説の中で、主人公の夫婦であるセリースとジョセフ以上に強烈に「死んでいる」のは、フェスタという名の友人。
セリースとジョセフが出会いはじめてセックスをした場所、学生時代に研究室の合宿で宿泊した海岸。その合宿所の火災で亡くなったフェスタ。

「彼女は三十年間死んだまま。」

その海岸を再訪し、セックスにもちこもうとするジョセフと気乗りしないながらも応じるセリースは、半裸のまま、もの盗りに殺害される。

すれ違いっぱなしでも寄りそう夫婦の、死の直前の描写がとても美しい。


「優しさを情熱に先行させたかったのだとしたら、今は彼女の思い通りだった。ジョゼフは両方を同時に示すことができなかった。そうできる男は少ないだろう。情熱は数秒間の行為だ。自分が最も切望することを果たせばいいだけ。だがそれより静かな悦びというものは、数十年をかけて築き上げられるもの。彼女は、両手の指の関節で、夫の背骨を撫で下ろした。
「湾は、また歌ってくれるかしらね。おぼえてる?」
二人は待った。そのあいだジョゼフはむっつりとサンドイッチを食べ、ほとんど話そうとしなかった。二人はバリトンに耳を傾け、肉が立て直しを図るのを待った。
彼女は煙草を吸いたかった。性交前の一服。けれどもそうはせずに、彼の頭、首、両耳に口づけした。薄くなった夫の髪に、鼻と唇を押しつけた。胸を撫で、落ちたサンドイッチのパン屑を払ってやった。」