死んでいる

これが、永遠に続く終わり、死んでいる日々。


「自然を学ぶ者は、暴力に慣れなければなりません。あなた方が動物学者として身を立てたいならば、死と親しむようになる必要がある」
つまり、死を恐れることは生を恐れることだという意味で、それは科学者の、そしてまた説教師のクリシェだった。
両者とも、生と死はほどけないほどしっかりと絡みあっていて、存在の二重螺旋だということを認識している。両者とも生に意味を与えたい。その理由はひとえに、生には反復し腐敗していく以外、明らかに何の意味もないからだ。
「死は、多細胞であることに対してわれわれが支払う代価なのです」

死んでいる

死んでいる


今でもセリースは、自分がのんきに肩をすくめたのを思い出せる。フェスタがどこにいるかなど、どうでもよかったのだ。
だがときどき、あれからずっと、彼女はそのことしか考えなかった。フェスタがどこにいたか。
彼女は三十年間死んだまま。
生きられることのなかった、仲間の平行する人生。終了しなかった博士過程。始まらなかったキャリア。医学的栄養学的な海藻の利用についての独自の研究に、進展はなかった。出会わなかった男、持たなかった子どもたち、家、隠やかな生活。激怒する声と柔らかな笑い声の中年期。薄くなっていく豊かでふんわりした髪。肥満。時折、通りや海藻研究の年次会議でセリースと邂逅。

すべては、コーヒーパン、もしくは落ちた煙草で、抹殺された。